伊勢町区について

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伊勢町区について

大正14年5月13日、熊谷の中心部で六百四二戸を焼失する大火が発生し、当時の堤外であった地域に居住が許される事となり、そこを「乙女町」という仮名が付けられる事となりました。しかしこの仮名は馴染まず(※)、現在の秩父鉄道上熊谷駅の西に存在した高さ約30メートルほどの浅間山(せんげんやま)の近くに、大神宮様と称される伊勢神宮遥拝のお社があった事から、大神宮様の伊勢から「伊勢町」という名前に変わり今に至るとされています。
※乙女町の名残としては本石2丁目にあるJR高崎線の「乙女町踏切」があります。

伊勢町区とうちわ祭について

熊谷宿と石原村の合併は明治二十二年、その時点で既に石原村には、江戸時代もしくは明治初期に作られたと思われる、屋台が存在したのです。
八坂祭りと称する屋台の巡行が、うちわ祭りより先んじていたということです。石原地区が、当時七ヶ町のうちわ祭に参加したのは、昭和八年四月一日、
その一方、私たちの先人の方々は、小型屋台を購入するまでの約十年。石原地区の祭りに関与していたのではないかと思われます。
現在も祭り初日に、石原地区(石原、本石、伊勢町、桜町)の、引き合わせ叩き合いがありますが、これもかつての石原村、八坂祭りの範囲の行事と
さかのぼる思えば、古き時代へ遡る、よすがになるのではないでしょうか

伊勢町区の屋台について

昭和10年製作の初代屋台が老朽化したため、二台目屋台を昭和54年に建造しましたが、車輪周りや柱構造を中心とした安全性を確保することを目的として平成29年に山車構造に改修し、平成30年に中鉾を加えた二層式の山車としました。
制作者は千葉県鴨川市の宮匠 川股三喜男で、枡組を用いた鉾の構造が特徴の「総欅造りの山車」、車輪は「波間に番の鯉」の彫刻が施されており、2匹の鯉が伊勢町の「い」を模っています。
龍の鬼板と鳳凰の懸魚は二代目屋台のものを引き継ぎ、人形は初代屋台が製作された昭和10年に伊勢町の守り神として祀られた「弁財天」をお祀りしました。(以上、熊谷うちわ祭り公式サイトより引用)